『自分が感じている自分の印象』と『人が感じる自分の印象』が違うことってありませんか?
以前は人が持つ勝手な自分の印象に合わせて性格を直そうとしたり、演じるようにしていたけれど、いつの間にやら「ふーんそう見えるのね」で片付けられるようになりました。
ふと何でそうなったんだっけ…と今までやってた行動を振り返ってみた。
本当の私じゃない
他者から見た私は『冷静』『動じない』『怒らない』人らしい。
私からしてみると「全っっ然そんなんじゃないんだけど。」って思う。
焦って取り乱してることも多いし、キー!ってイライラすることもあるし、うるさいほど喋ることだってある。
本当の私を理解してもらえていないという憤りと、期待に応えて人が決めた印象通りに行動しなきゃっていう謎の使命感がありました。
そんなことしているうちに、これは本当の私じゃないっていう気持ちがどんどん大きくなっていきました。
人につけてる印象のレッテル
自分自身のことを振り返ってみると、人の一部分だけ見て印象を決めていることってある。というか、それがほとんど。
それを「人が理解してくれない」「相手が勝手に勘違いしてる」って嘆くのは自分勝手なのかもしれない。
誰かに自分のすべてを理解してもらうのは難しいから、自分が理解して認めてあげないと救われない。
人からの印象に一喜一憂しなくなった理由
ずっと人から勝手な印象を持たれることに悲しんだり、怒ったり、喜んだりしていた私。
この前、会社のリモート飲み会で再び「冷静だよね」「いつも動じない」という話題になりました。
いつもなら「そんなんじゃないのに…」「そんな風に思われてるんだ…」と気持ちが揺らぐ。
だけど今回は「ふ~ん。まあ、私って色んな一面あるからね~」と、人からの印象はどうでもよくなってました。
自分には色んな自分がいること知ってるし、動じない自分も取り乱す自分もぜんぶマル◎!だからいいや~みたいな感情。
なんでこういう風に考えられるようになったのか、理由を振り返ってみました。
理由①自分を褒める言葉をブツブツ言い続けた
このHTLの動画を見て、自分で自分を褒める行為はただの気休めじゃないことに衝撃を受けました。
面白そうだし、すぐできることだから早速実践。
「私がこの世界の中心」「私はすごい」「私は天才」「私は何でもできる」…
気付いたときに口に出して呟いてました。
数日やっていると、不思議なことに妙に自分に対して安心感があることに気が付きました。
理由②感情が動いたときに何故そう感じたのか問うようにした
自分にとって嫌なことって、あまり深く考えたくないしフタをするようにしていました。
でも、何故こんなにも私の感情が動くのか?を自分に質問し続けてみると「私は自分のペースを大事にしたいんだな」「人とは程よい距離で話すのが好きだな」など、望まなかった出来事の裏にある本当の望みが出てくるんです。
『嫌な出来事は、本当に好きなことを知るための出来事』だと思うと、ちょっとだけ落ち着いて物事を考えられるようになりました。
理由③目の前のことに集中する
他の事を考えて心ここにあらずってことがよくあります。
今ここ状態になるには瞑想が代表的だけど、私はついつい後回しにして結局瞑想しないってことが多いんです。
なので、今やってる行動に集中することも取り入れるようにしました。
例えば…食事なら「これ美味しすぎる!ごはんと一緒に食べると最強。幸せ」
散歩中なら「風が気持ちいい~この景色最高…さっき買ったお茶も最高すぎる」って自分とキャーキャー感動し合う感じ。
人が感じている自分の印象まとめ
自分が信じられなくて、周りの人に自分という存在を委ねているから『人が感じている自分の印象』が気になるのだと思います。
今はまだ、誰かから批判されたり、悪意のある噂とかされたら自分軸がブレることもありそう。
でも、私が実践したブツブツ自分を褒める、感情の動きをよく観察する、目の前のことに集中して味わう。数日やってみただけでも軽くなった実感があったので皆さんも試してみてください!
私はこれからも粛々と続けていきます~。